マドンナは白人なの? 大いなる伝説 ベストヒットUSA 2013.3.12放送より [音楽情報]
マドンナは白人なの? 大いなる伝説 ベストヒットUSA 2013.3.12放送より
THE LEGEND “大いなる伝説”
“マドンナは白人なの?”
22歳のマドンナにとって、最もふさわしい女性マネージャーが現れたと思われたが、だんだん2人の関係がおかしくなっていった。
7歳年上のカミール・バーボーンは、マネージャーとして、プロデューサーとして、必要以上にマドンナの面倒を見たのだが、マドンナは普通の女性ではなかった。
音楽もファッションも私生活にも、マドンナは自分のやりたいように事を進めたのだ。
肝心な音楽に関しては、バーボーンは口を酸っぱくして、
「もっとポップで軽い音楽がマドンナに合っている。」と
アドバイスし続けた。
マドンナはバーボーンが取ってくるライブでは、客が受けるダンスナンバーを中心に演奏したが、バーボーンのスタジオを使ってのデモ作りでは、強いビートの黒人風ファンク、ヘビー・ファンク・ミュージックを作り続けた。
実は本国アメリカでもビデオのマドンナのイメージが強烈なので、あまり語られなかったことだったが―
この2年後、マドンナのデビュー・アルバムが出る前、レコード会社内でジャケットにマドンナの写真を使うかどうかで意見が2つに分かれた。
マドンナの写真を使うと、マドンナが白人だということが世間に知れ渡ってしまう。
この頃マドンナはアルバムを出す前に、最初に「エブリバディ」、次に「バーニング・アップ」とシングルを出し、これが小ヒットし始めていた。
理由はクラブでよくかかり、ダンスチャートに入ったこと、そして黒人系のラジオ局で好んで放送され、黒人客に売れていたのである。
そのためレコード会社のお偉方まで
「マドンナは黒人アーティストだ。」
と思っていたのである。
つまり、マドンナが22歳の頃、歌手として、ミュージシャンとして、作曲家の卵として、マネージャーのスタジオで日夜音楽に没頭していた頃、彼女は黒人音楽をひたすら追いかけていたのだ。
また私生活でのマドンナは、親身になって心配するマネージャー、バーボーンの心配をよそに、常に最低3人の男がいた。
そして自分でも語っているように、その恋人たちは才能あふれる肌の色が濃くない黒人か、ラテン系の男たちであった。
(続く)
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THE LEGEND “大いなる伝説”
“マドンナは白人なの?”
22歳のマドンナにとって、最もふさわしい女性マネージャーが現れたと思われたが、だんだん2人の関係がおかしくなっていった。
7歳年上のカミール・バーボーンは、マネージャーとして、プロデューサーとして、必要以上にマドンナの面倒を見たのだが、マドンナは普通の女性ではなかった。
音楽もファッションも私生活にも、マドンナは自分のやりたいように事を進めたのだ。
肝心な音楽に関しては、バーボーンは口を酸っぱくして、
「もっとポップで軽い音楽がマドンナに合っている。」と
アドバイスし続けた。
マドンナはバーボーンが取ってくるライブでは、客が受けるダンスナンバーを中心に演奏したが、バーボーンのスタジオを使ってのデモ作りでは、強いビートの黒人風ファンク、ヘビー・ファンク・ミュージックを作り続けた。
実は本国アメリカでもビデオのマドンナのイメージが強烈なので、あまり語られなかったことだったが―
この2年後、マドンナのデビュー・アルバムが出る前、レコード会社内でジャケットにマドンナの写真を使うかどうかで意見が2つに分かれた。
マドンナの写真を使うと、マドンナが白人だということが世間に知れ渡ってしまう。
この頃マドンナはアルバムを出す前に、最初に「エブリバディ」、次に「バーニング・アップ」とシングルを出し、これが小ヒットし始めていた。
理由はクラブでよくかかり、ダンスチャートに入ったこと、そして黒人系のラジオ局で好んで放送され、黒人客に売れていたのである。
そのためレコード会社のお偉方まで
「マドンナは黒人アーティストだ。」
と思っていたのである。
つまり、マドンナが22歳の頃、歌手として、ミュージシャンとして、作曲家の卵として、マネージャーのスタジオで日夜音楽に没頭していた頃、彼女は黒人音楽をひたすら追いかけていたのだ。
また私生活でのマドンナは、親身になって心配するマネージャー、バーボーンの心配をよそに、常に最低3人の男がいた。
そして自分でも語っているように、その恋人たちは才能あふれる肌の色が濃くない黒人か、ラテン系の男たちであった。
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2013-03-22 08:00
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